人間活動日記

はやく人間になりた~い!

坂道のアポロンに見る〈女〉の必要性

 引っ越してから一か月。ようやく家にネット環境がきた!やったー!

 さすがに仕事も決まっていないのに…と思ってネットに申し込むのを躊躇していたのだ。先日めでたく仕事が決まったので、そのままスマホから申し込んだ。最近CMでやたら見かけるどんなときもWiFiというやつだ。昼過ぎから使ってみた印象だけど、使用しているパソコンのスペックの問題で動画が止まるのか、それともWiFiの問題なのかよくわからない。が、細かいことは気にしないたちなのでわりと満足している。たぶん前者だと思うし。実際、使うにあたって一度しばらくつけっぱなしだったパソコンを再起動したのだが、夕方ぐらいになると「ほい、充電か~んりょ(CV:高橋広樹)」的にスイスイ動くようになった。ありがとうどんなときもWiFi。ありがとうパソコン。

 さて、ネットもつながったので、ここしばらくずっとスマホにダウンロード済みの映画しか観れていなかったフラストレーションを解消するべく、Amazonプライムで映画『坂道のアポロン』を観た。

 結果的に言うと、すごくすごくよかった!

 ぶっちゃけると最近の少女漫画の実写化には辟易していて、元からそこまで邦画を観るほうじゃないのにますます足が遠のくという悪循環に陥っていた。私が今まで観て「よかった」と感じた少女漫画実写化は『好きっていいなよ。』(これが本当に意外にもよくできていたのでおすすめ)、『海街diary』、『ヒロイン失格』、『俺物語!!』(エンドロールで知ったのだが脚本が野木亜紀子だったのでまあ納得)、『君に届け』、『ちはやふる』……あれ? 結構ある? まあでも某咲坂伊緒作品はどちらもぶん投げたくなるものだったし、『となりの怪物くん』はダイジェスト映画だったし…、『秘密』に関してはもう勘弁してくれって思ったので岡田将生生田斗真という二大イケメンをじっくり眺めること以外に集中していなかったし……。

 まあそんなわけで、『坂道のアポロン』も結局映画館に行くことなく、Amazonプライムでようやく観たのですが。いやー、よかった。

 とはいえ、脚本や演出に関してはまあ飛び抜けていいってわけではないのです。

 じゃあ何がいいのか? そりゃーもうキャストのみんなだよ!

 と、いうか、特に飛び抜けて中川大志くんが最高によかった! 小松菜奈と知念侑李は存在しているだけで価値のある顔だからいいんです。でも中川大志くんは本当に本当によかった。中川大志くんがよかったからこそ、知念くんのあんまりうまくない演技(ファンの方はすみませんな)が、東京から来た音楽はクラシックしかやりませんみたいな真面目しか取り柄がなさそうな優等生メガネ男子のたどたどしさに見えたというか…。知念くんは「演技してます!」って感じなんだけど、中川大志くんは本当に「セン」になってた。唯一「演技だなぁ」と感じたのは教会内で知念くんの方に寝ぼけながら手を伸ばすシーンだったけど、あれはあの演出がどうしたって不自然すぎる(冒頭の屋上のシーンをなぞりたいという意図は伝わった)ので、中川大志くんのせいではないのです。

 中川大志くんって今までどっちかっていうと素直だったり(これは重版出来!のイメージ)年下っぽい(これはスキャンダル専門弁護士QUEENのイメージ)イメージで、どちらかというとコミカル且つどうしても二番手三番手な印象が強かったのだけれど、いやー『坂道のアポロン』においては中川大志くんが一番だと思うな。いやでもバーでのセッションパートはディーン・フジオカがあまりにもかっこよすぎてこれは正しいディーン・フジオカの使い方…と思ったけど…。

 いや本当にこの映画、ディーン・フジオカ中川大志くんのカッコよさと、知念くん・小松菜奈ちゃんのかわいさがただただ拝める映画なのでおすすめです。わたしはアニメも観ていたので菅野よう子版のが好きだけど、曲もいいしな。ストーリーとかさておき、とにかくこのキャストを観るためだけに観てほしい!と宣伝できるのはこの『坂道のアポロン』以外には1作しか思い浮かばないな。それは『溺れるナイフ』です。菅田将暉小松菜奈ちゃんも最高なんだけど、何より最高なのは重岡大毅くん……何を隠そう私は重岡くんが最高だから観に行ったほうがいいと当時の会社の上司(けっこうえらい人)に言われ、渋々観に行ったら映画館を出たあと重岡くんのオンナになっていたレベルでよかったです……。キスシーンが最高によかったんだよなあ~~~~『溺れるナイフ』は映画の内容はさておき若手俳優たちの映像美って感じ。私は今回の『坂道のアポロン』もそれに当たるかな。

 で、私がそう言うってことはまあ歯に衣着せぬ物言いをするなら「ストーリーが微妙」だと感じる箇所があったんだけど、それが今回の記事の表題になるわけです。

 と、いうのも、私はこの映画版『坂道のアポロン』には女(小松菜奈ちゃん演じるリツコ)は要らないと感じました。

 要らないというと激しすぎる? でもでもだって、この映画、もう最初から「び、BLか!?」と思ってしまうほど、知念くんと中川くんの友情がアツすぎるんだよ~~!

 もちろん作中ではそれぞれ好きな女性がいて、この二人をBLとして捉えるのは原作設定を崩壊させているようでなんだか気が引けるんだけど。でも二人の出会いのシーンだってさあ…屋上に向かう階段にある謎のシーツを払うと、そこから現れたのがアポロンにも似た少年(中川大志くんです)で、そんな中川くんの目を覚ます前のまたたきや、運命の出会い(!)に驚いて見開いた知念くんの長い睫毛…、おまけに知念くんの手をぎゅっと握った中川くん、どうやら知念くんを天使とでも間違えていたような…。

 こんな出会いがのっけからあったら、そりゃ観てる方のBLスイッチが入っても仕方ないでしょう!(そんな正当化の方法があるか?)

 まあとにかく美少年二人が愛を育んでいくように見える…というのは個々のフィルターもあると思うのでさておくとして、それを除いたとしても、やっぱりこの作品における小松菜奈ちゃんの役割というのは「観客の気持ちの代弁者」以外に他ならないと思うのだ。いくらキャスティングでメインに入っていようが、ウィキペディアで太字になっていようが、ポスターでも大きく表示されていようが、やっぱりこれは「音楽が結ぶ男たち(薫とセン)の友情物語」に他ならないので、原作がどうかは知らんが「リツコが歌パートとして二人の間に入る」なんてのはあってはならないと思うんだよな。

 そう。私が許せないのは、観客側であったリツコをステージに上げる(ジャズに歌で参加する)という行為なのだ!

 なにも友情を育んでいるのは男二人だけではなく、そもそもその双方と結びつきがあったのはリツコである。だからこそ、三人で過ごしている姿は素直に微笑ましいし、なにも男だけでイチャつかせろ!という腐敗過激派の意見を申し上げるつもりはないのだ。そもそも私、夢女子なので…。

 ただ、この作品における「ジャズ」は「言葉なしに気持ちを伝える手段」であり、そしてさらには「男たちのもの」であると感じた。別に女性差別のつもりではなく(そもそも私、女ですし)、ただ、ことこの映画においては「男たちのサンクチュアリ」のように感じたので、そこに「リツコ」という侵入者を与えないでほしかったのだ。

 作中で、主にセンたちが練習に励むリツコの家の地下スタジオがある。ここにどうやらディーン・フジオカを追いかけてきたらしい真野恵里菜(そういえば真野恵里菜も最高だった)が、真野恵里菜に惚れている中川大志に連れて来られる場面があるのだが、そこで言うディーン・フジオカの「ここは関係者以外立ち入り禁止じゃなかったのか」の言葉を思い出す。薫がリツコを誘ったとき、私はこの言葉を思い出したのだ。

 例えば、甲子園の土を女子マネージャーは踏むことが出来ない。どれだけ三年間共に励んできたとしても、だ。なんだかなぁ無意味だなぁと思う気持ちがないわけではないが、一方で、うまいこと言語化できないセンチメンタルさもあると感じるのは私だけだろうか。

 私はこの映画において、「聖域の外でそっと心地のよい音楽に耳をすませ微笑むりっちゃん」のことが大好きだった。二人が喧嘩したり仲直りしたりするのを見て涙を流して「もう、しょうがない人たちね」って顔で泣き笑うりっちゃんはとてもうつくしかったからだ。

 そのうつくしさが、事故の前にエピソードの必要としてぶっこまれたいざないによって壊れてしまったような。そんな感覚。

 そうか。私は今の今まで「男たちの聖域が侵された」ことへの憤りでこの筆を執っているのだと思ったけれど、一方で「外にいるがゆえのうつくしさ」が損なわれたことにも憤りを覚えているのだろうな。

 私が脚本や演出を担当するなら、りっちゃんを飛び込ませるのは本当に最後にする。というかラストシーンはべらぼうによかったし、あそこで入ることには意味があったように思う。が、あそこもあそこで肝心のリツコの歌は聞けないし、それまでさんざん二人(知念くんと中川大志くんである)がイチャついて(ジャズのセッションをしているのである)いて、なんというか事故の前に「歌やってよ!」と誘っているせいか、ちょっとかわいそうに見える蚊帳の外感があるんだよな。誘ってんのに仲間外れにしてんじゃねーよ! みたいな…。なんか結局事故に遭わせるためにしかあの誘いの必然性ってないようにも見えるし…まあこれで原作からそうなのだとしたら謝りますが…。

 最近の、やたら女性差別だなんだと言う声には女ながら結構うーんと感じる。男だけだからこそよいドラマチックがあるものもあれば、また逆も然り。女キャラを出してくるBLって私は嫌いだし(許したのはハヤカワノジコ作品ぐらいだよ)。まあこれはBLではありませんが、仲間になることが全てじゃないのだ。男子高校生がわちゃわちゃ騒いでいると「自由」なのに、そこに女がひとり入るだけで「不自由」になるような。そんなことってあるじゃない。だからこそ女はあえて「外から見る自由」を選ぶのだと、そう思うのだ。

 そこにこそエモーショナルな揺れ動きが、そこでしか見えない「愛」がある。

朝は金

 北村薫の『空飛ぶ馬』が好きだ。

 好きな小説は、と聞かれる場面があると、かならずこの本を挙げることにしている。悲しいかな、わたしの年代だとミステリ好き以外にはなかなか知られていないことのほうが多く、これを挙げるのはほぼ自己満足に近い。本来、好きな小説や映画を尋ねられるのは、少なくとも共有や趣味の把握をしたいからであろう。自分の好みなど制限されるものではないしカテゴライズさえ無用ではあるけれど、ひとと繋がりあう努力はしたい。

 それはさておき、『空飛ぶ馬』は女子大生の〈私〉が、日常に潜む謎を落語の噺家である春桜亭円紫さんと紐解いてゆく、今でこそメジャーになった〈日常の謎〉の物語である。

 そんな『空飛ぶ馬』のはじまりに、朝は金というくだりが出てくる。わたしはそれまで知らなかったのだけれど、果物を摂る時間は朝がいちばんよくて昼は銀、夜は銅、と落ちてゆくのだそうだ。

 わたしはとても健康的な(…)福々しい(……)つまりはやや(………)まあ正直に言うと太っている。ナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』という映画があったが、プリマを目指す主人公が朝はグレープフルーツ半分しか食べない姿を見て正気か?と思っていたのだけれど、なんとわたし、ナタリー・ポートマンデビューしちゃいました!

 いやなんのことはない、同じ朝食をとっただけの話なのだが。二週間前に買い物に行ったとき、気分で買ったグレープフルーツをようやく食べたのだ。でもわりと起き抜けであってもいきなりカツ丼大盛り食べれた今までのことを思うと、人類にとっては小さな一歩でもわたしにとっては大きな一歩である。

 と、いうのも、祖母と同居した初日の朝ごはんで飲まされたスムージーがわたしにはちょっと合わず…、というかそもそもスムージーとかいう洒落た飲み物がたぶん合わないので、祖母を傷つけずに断る言い訳として朝食抜きの誓いを立てているのだ。悪魔のような祖母の血脈からこんな気の遣える孫が生まれるなんて、キリストばりの奇跡じゃないか?(言いすぎ?)

 とはいえここ一ヶ月わたしは無職で、毎日することがないので朝食を抜いたところで困らない。寝るか本を読んでいたらあっという間に昼になるからだ。おそらく来月半ばあたりから職にありつけるので、その時どうするかが悩みどころである。というかまあ自分で作るだけだけどな。

 しかし朝食ってすごく迷いませんか? わたしなんかは気分の人間なので、「朝は食べない(もしくはチーズやナッツ、フルーツをかじる)自分」に酔っ払っている現状では、そう困らない。あとは逆に、朝食を豪華にするのも好きだ。ふわふわのオムレツにトースト、グラノーラに作り置きのコールスローとスープ、みたいな。それを食べると、今日は動くかあ、とやる気が出る。

 逆にわたしにとってわりとどうでもいいのが夕食の類で、食べたらお風呂入って寝るだけだし…と思ってしまう。酒も体質と好みの問題で自分から進んで摂取はしないため、晩酌の楽しみもない。もちろん美味しいなあとは思うし、箸も進むし、おかわりどう?と聞かれたらいいわねと答えるのだが。……。

 そういう意味で、あの「朝は金」とは、なにも果物に限った話ではないのだと思う。朝は多くの人にとってはじまりだ。はじまりが、黄金の一日をつくるのだ。

 さて、『黒いトランク』(鮎川哲也)でも読んで黄金の一日にするか。

一日坊主の教訓

 世には三日坊主という言葉もあるが、まさか一日で終わるとは。うぬぬ。まあそれほど面白みのある生活を送ってこなかったからだろうな、と自分をなぐさめる。なぐさめられているのか?


 祖母と同居しはじめて、ちょうどひと月が経つ。

 実は(というほど隠された事実でもないが)、わたしは祖母が嫌いだ。

 幼い頃は離婚して一人暮らしをしていた祖母のもとによく遊びに行ったり、けっこう仲良くしていたと思う。

 じゃあなぜか? きっかけならよく覚えている。

 わたしには10以上も離れた妹がいるのだが、妹がまだ生まれて間もない頃、近くのイトーヨーカドーに行った。そこでいちごミルクを飲んだら、どうやらアレルギーが発症したらしく、咳が止まらなくなってしまったのだ。

 服が接している部分は痒いし、おまけに呼吸器官にもじんましんが出ているようでほとんど呼吸ができない。かなり勢いよく咳き込むわたし(ちょっと止まって、すら口に出せないのだ)だが、祖母は気にした様子がない。ベビーカーを押しているのはわたしなのだが、代わろうか、とすら言わない。

 にもかかわらず、妹が飲み物に咳き込んだ瞬間、「あらあら、大丈夫?」。

 おい! もっと激しい咳をしとるやつがここにおるじゃろがい!

 赤子が可憐であるのはどんな相手にも守ってもらえるようにだと、どこかで聞いたことがある。可憐でなければジャングル・ブックもターザンも成り立たないだろう。妹の可憐さに非はない。非があるのは耄碌した老人(全国の良識あるご年配の方々に深くお詫び申し上げるとともに、この言葉はわたしの祖母のみを示すことを記載しておきます)なのだ。

 というかこの人の場合、興味がないと目に入らないだけなんだろうけどね。わたしはこの出来事により、祖母はわたしに興味がないのだろう、と合点してから何の期待も好意も抱かなくなったのであった。

 と、まあそんな理由で嫌いだということも母や妹も知っていて、何なら母とわたしはよく悪口で盛り上がるのだが、今回はわたしが仕事を辞めたこと、実家(母や妹が住まうマンションである)に住む場合わたしの部屋はないことから、一軒家の二階にある一室に住まわせてもらうことになった。背に腹はかえられぬ。長年接客業をやってきているので、まあこれもビジネスだと思い日々対応している。

 そんな祖母と同居してわかったことが、どうやら祖母、心の底から「自分が中心となって世界が廻っている」と思っているらしい。

 近所の家族経営のスーパーが水曜日休みなことに文句を言うし、朝10時開店であることにもぶつくさ言う。今日なんか、ほうれん草が猛暑で値上がりしたというニュースに「消費者に黙って値上がりするな!」とのたまったので耳を疑った。え、ええと……?

 なんだろう。べつに世の老人がみなそうだと言うつもりはないし、中年だろうが若者だろうが、嫌なやつは大勢いる。この祖母の言動も、老人だからというよりは性格がおおむねを占めているだろうと思う。

 一方で、「老いる」ということは、他者を思いやることが出来なくなることだとも思うのだ。心が老いている。そう感じる。

 わたしはまだ老人に入る年齢ではないので、例えば身体が思うように動かなくなったり、不自由なことがたくさんあるんだろうと想像する。自分のことで手一杯で、周りを気にする余裕がなく、一方で気にしてくれない周りに憤る。その度に、たぶん、イヤポイントが貯まるのだ。そのうえ、昔の常識にとらわれているとどんどん進んだ現代の常識が受け入れられない。またイヤポイントが貯まる。イヤポイントの貯金が増えれば増えるほど、「最近の若者は」だとか「最近の世の中は」だとかイヤポイントを口に出し、老いていくようになる。身体が。心が。

 かくいうわたしも祖母と暮らしたことでイヤポイントが貯まりつつあるが、どうかこのことを忘れずに生きていたいとも思う。イヤポイントという名から、教訓というものに変えて。


 とはいえ、日記ですら一日坊主のわたし。はたして自分が老人になったときに覚えていられるのだろうか……不安。

 

うきゃー!

暇さえあればBONESを観ていた私。シーズン5の16話、てっきり今までのおさらいみたいな話だと思ったら……テンペランスがまさかブースとキスしたことで涙するなんて! 「私たち、まだ相棒でいられる?」という言葉が胸にしみた。最高だ。長期休暇のあいだ、けっこう色んな海外ドラマを楽しんでいる私だけれど、BONESが今のところ一番おもしろい。

あ、ホームズは別カテゴリで不動の地位を保っているからまた別腹ですけど。